小牧市の概要
更新日:2024年03月28日
小牧市はこんなところ
小牧市は、名古屋市の北方約15キロメートル、濃尾平野のほぼ中心に位置し、市域面積は62.81平方キロメートルです。昭和30年(1955年)1月1日、小牧町、味岡村、篠岡村の3町村が合併し、人口約3万2千人、県下21番目の市として誕生。昭和38年(1963年)には北里村と合併して、現在の市の規模となり、令和7年1月1日に市制施行70周年を迎えます。
昭和34年(1959年)、当地方に未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風による復興を契機に、農業依存からの転換と財政基盤の確立のため、積極的な工場誘致と大型団地の誘致を図ってきました。高度経済成長期に入ると、中部の空の玄関名古屋空港、さらには名神高速道路・東名高速道路・中央自動車道の3大ハイウェイの結節点という立地条件にも恵まれ「小牧菜どころ米どころ」といわれたかつての田園都市から、陸上交通要衝都市の性格を有する内陸工業都市へと大きく変貌し、中部の中核都市へと発展しました。
また、小牧市を大きく変貌させた事業の1つに桃花台ニュータウンの建設事業があります。桃花台ニュータウンは、愛知県を事業主体として、322ヘクタールの新住宅市街地開発事業により開発が進められました。
さらに、平成13年には名古屋都心部と小牧インターチェンジを直結する名古屋高速道路高速11号小牧線が開通し、陸上交通要衝としての地位をさらに確固たるものとしました。
一方、春の桜、夏の深緑、秋の紅葉、そして冬の雪化粧と、四季折々にその姿を変え、市民に憩いと安らぎを与えてくれる本市のシンボル小牧山は、1563年(永禄6年)天下統一を目指す織田信長がここに築城して戦国の風雲の中に登場しました。「本能寺の変」のあと天下の情勢は再び流動。次の覇者、豊臣秀吉が徳川家康と小牧山をめぐる攻防戦を展開した「小牧・長久手の合戦」で歴史にその名をとどめており、昭和2年には国の史跡指定を受けました。さらに、天下の珍祭で知られる田縣神社の豊年祭、ゴッホ、ピカソをはじめ、大観、劉生ら内外の高名な画家の作品収蔵で知られるメナ-ド美術館など、当市は古い歴史と豊かな文化の街でもあります。
また、市内最大のイベント「小牧市民まつり」や真夏の夜を彩る「こまき令和夏まつり」は毎年盛り上がりをみせ、市民のふれあいの場となっています。
小牧市の位置、地勢
小牧市の位置
- 北緯:35度17分
- 東経:136度54分
- 東西最長:14.82キロメートル
- 南北最長:9.22キロメートル
- 面積:62.81平方キロメートル
地名の由来
太古には小牧山西麓付近まで海で舟の出入りがあり、舟人が遠くよりこの山を目標に帆を巻いたところから帆巻山といったと伝えられ、また、中世には当地で馬市がよく催されていたため、曳馬、引馬、駒来と呼ばれてこの地名がついたともいわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。
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