小牧・長久手の合戦の陣城

更新日:2017年08月31日

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帯曲輪地区東部の発掘調査の概要

小牧・長久手の合戦の陣城

縄張り

縄張図のイラスト

天正期帯曲輪地区東部縄張図

小牧・長久手の合戦時においては、帯曲輪地区にあたる。その中でも山の北東から南東にかけての面積が大きい部分である。虎口f、虎口gとともに山麓をめぐる土塁が築かれ、この土塁の外側には、虎口に入り込む堀と一体であったと考えられる堀が掘削されていた。土塁の内側では、永禄期に築かれた堀はある程度は埋まっていたものの窪みとして残っており、曲輪402を囲む土塁はそのまま利用された。土塁が築かれた部分では、堀や他の溝、井戸などの永禄期の遺構は埋められ、土塁の下となった。
土塁は、虎口fから虎口gにかけては、虎口fの北側、曲輪402とした部分の北東部、虎口gの南西部で屈曲する部分が作られている。虎口fは南側に土塁の開口部があり、開口部から南側へ延びる土塁は、虎口fから30メートル程のところで西側へ折れ、そのまま山側へ向かっていく。虎口gは北側に開口部が認められ、そこから延びる土塁は搦手口まで続いている。
帯曲輪は、土塁と山裾までの間は、永禄期の曲輪402の北辺にあたる位置で最も幅が広く約60メートル、他では30メートル前後である。

発掘概要

虎口fの写真

虎口f発掘状況

土塁は、各所で断ち割りを行ない、築造方法を調査した。上部が削平されており、下部の状況しか確認できなかった所もあるが、全体に共通していることは、最初に表面を硬く締めた整地面を作った上に、盛り土となる土を積み上げて土塁を築いている点である。整地土は灰色土、褐灰色土で、厚さは10センチメートルから30センチメートルである。
積土は、概して、黒色土、灰色土、褐灰色土が下層に、上層には黄色粘質土、橙色粘質土、白色粘質土などの地山の土が積まれており、版築は行なわれていない。積土の傾斜は、内側から外側に下がる方向に積まれているところ、下層が内側から外側へ、上層がその逆になっているところがみられた。
土塁の高さは、帯曲輪側では、土塁際から現在の土塁頂部までは2.5メートルから3メートル、堀側では、底から土塁頂部までは5.5メートルから6メートル と推定された。土塁の傾斜角は、外側は40度から45度である。土塁幅は外側に面する部分は10メートル程、SD01の北側では5メートルから5.5メートルを測る。
虎口fは、幅11メートルの堀SD01が中まで入り込み、その周りを土塁が囲む(南側に開口部をもつ)構造となっている。調査前には、すでに「春日井郡小牧村古城絵図」が描かれた時点で堀の北側に土塁はなかった(堀も描かれていない)が、現存する土塁から続く積土の残りが確認されたので、この北側に確認された溝SD02との間には本来は土塁が築かれていた(外側の土塁からひと続きであった)ことが判明した。
虎口gにおいても、SD01と同様な堀SD09を確認した。コーナー部分を挟んで北側の法面幅5メートルと西側の法面幅9メートルの範囲を確認した。やはり周りを土塁に囲まれており(北側に開口部あり)、その土塁頂部から2.5メートルまでは掘り下げたが、完掘には至らなかった。

土塁断面の写真

土塁断面発掘状況

虎口f遺構実測図のイラスト

虎口f遺構実測図

虎口g発掘状況の写真

虎口g発掘状況

虎口g遺構実測図のイラスト

虎口g遺構実測図

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