小牧山
更新日:2023年04月05日
- 公園種別:
一部都市緑地(小牧山緑地) - 所在地:
小牧市堀の内一丁目1番地 - 面積:
21ヘクタール - 交通:
・こまき巡回バス「間々本町」「小牧市役所前」からすぐ
・名鉄バス「小牧市役所前」からすぐ - 駐車場:
有り - トイレ:
有り
小牧山は小牧長久手の戦いなど歴史色の濃い城山の森です。
かつての城跡も今では自然豊かな安らぎの場になっています。
山頂には三層四階建ての小牧山歴史館があり眼下に濃尾平野が広がります。
現在、史跡小牧山の整備が小牧山課により進められています。
小牧山
春の桜、夏の青葉、秋の紅葉、そして雪の小牧山と四季折々の姿を見せ、私たちの憩いの場として親しまれている小牧市のシンボル小牧山。
小牧山は、小牧市のほぼ中央、市街地の西に位置し、標高85.9メートル、総面積約21ヘクタールの小山で、尾張平野の中に孤高しており、頂上からは平野を一望に見渡すことができる眺望の地です。
戦国時代には、織田信長がここに城を築き、天下統一の第一歩を踏み出しました。その後、小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の主陣地となり、豊臣秀吉の軍勢とにらみあいを続けました。小牧山は、信長・秀吉・家康という戦国時代の三英傑が関わる歴史のある山で、昭和2年に国の史跡に指定されています。城として使われなくなった江戸時代以降、小牧山は大切に保護されてきました。そのため、城跡には樹木が茂り、数多くの植物を見ることができます。海岸地方に多い暖帯海洋性の植物が多く見られ、中でもタブノキはこの付近では小牧山のみに自生している珍しい木で、昭和47年8月には市の木に指定されています。
史跡小牧山関係年表
戦国時代
永禄6年(1563年)
織田信長が小牧山に築城、清洲から移る。小牧山南麓に城下町を形成。
永禄10年(1567年)
信長、稲葉山城を攻略。岐阜と改称し小牧山から居城を移す。小牧山城は廃城となり小牧城下町は衰退するが、かなりの規模を持つ町場がまだ存在していた。
安土桃山時代
天正12年(1584年)
小牧・長久手の合戦がおこり、豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍が戦う。家康は、小牧山の信長の城跡を改修し、陣城を築く。
江戸時代
小牧山は尾張藩領となり、「神君家康公」ゆかりの地として一般の入山を禁止。山守頭の江崎氏らにより大切に保護される。
元和9年(1623年)
小牧山南麓の町場を、東方の現在の市街地へ移転させる。
明治時代
明治5年(1872年)
一時民間に払い下げられるが、すぐ買い戻され、「県立小牧公園」として一般公開
明治22年(1889年)
小牧山と尾張徳川家所有の土地が交換され、小牧山は徳川家の所有となる。小牧山を保護するため番人を置き一般公開を停止する。
昭和時代
昭和2年(1927年)
国の史跡に指定され、一般に公開される。
昭和5年(1930年)
徳川家から小牧町へ小牧山が寄付される。
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