大山廃寺跡(おおやまはいじあと)
更新日:2017年08月31日
国指定史跡(昭和4年12月17日指定)
所在地:小牧市大山411他
大山廃寺は、小牧市の東北部、山の中腹の標高200メートル程に位置する古代・中世の山岳寺院跡である。
文献資料が少なく、「謎の大山寺」と呼ばれてきた。昭和3年に寺域の最高所の地下から発見された塔跡の礎石以外、その全容はよくわからないままで、昭和50年から53年にかけて、寺の範囲や遺跡の性格を解明するため、発掘調査を実施した。
現在、稚児神社となっているかつての大山寺の中心部の大半を調査した。この結果、大山寺の創建は、白鳳時代(7世紀末)で、室町時代まで盛衰を繰り返し存続したことがわかった。
発掘調査で判明した大山寺は年表のとおり、少なくとも4時期に区分できる。最初に造営された大山廃寺は、現在残る塔跡の他に、稚児神社境内にもいくつかの建物が建てられていた。
ここで使われた白鳳時代から奈良時代の多量の瓦が当時の建物の壮大さを物語っている。
7世紀後半から9世紀には屋根瓦を持ち礎石の上に柱を建てた伽藍(がらん)(瓦葺礎石建物伽藍)であった大山廃寺は、10世紀に屋根瓦を持たず、柱を直接地面に埋める伽藍(非瓦葺掘立柱建物伽藍)に建て替えられる。
発掘調査で3棟の建物が発見されていますが、そのうち2棟は同じ場所で建て替えられたものである。
伝説では、大山寺は仁平2年(1152年)に僧兵の焼き討ちで炎上し、廃絶されたとされている。発掘調査でも10世紀の掘立柱建物を埋めている整地層に多量の灰を含んでいて、火災があったことは確実であるが、出土土器の年代から伝説よりはやや古い時代と思われる。
大山寺は11世紀後半には再建される。このときの建物は発見されていませんが、釣鐘を鋳造したとみられる炉の基礎部分が発見されている。
13世紀頃には、巨大な本堂をもつ非瓦葺礎石建物伽藍が建てられる。鐘楼跡(しょうろうあと)と呼ばれる部分の礎石もこの時期のものである。また山中の各所にも堂が建てられ、多数の僧が生活したとみられる。大山廃寺からの出土土器は13世紀以降のものが圧倒的に多く、中世にもかなりの勢力を誇っていたと推定される。
大山廃寺年表
白鳳時代 | 7世紀 | 大山寺の創建(区分1) |
---|---|---|
奈良時代 | 8世紀 | 塔跡など瓦葺礎石建物伽藍(区分1) |
奈良時代 | 8世紀 | 多種類の瓦(白鳳・奈良時代)を使用(区分1) |
奈良時代 | 8世紀 | 塔跡の焼失(区分1) |
平安時代 | 9世紀 | 平安時代初期の瓦を使用(区分1) |
平安時代 | 10世紀 | 非瓦葺掘立柱建物伽藍(区分2) |
平安時代 | 10世紀 | 建て替えた建物もある(区分2) |
平安時代 | 11世紀 | 火災(伝承では仁平2年)(区分2) |
平安時代 | 11世紀 | 伽藍の再建(区分3) |
平安時代 | 12世紀 | (建物跡は発見されていない)(区分3) |
鎌倉時代 | 13世紀 | 非瓦葺礎石建物伽藍(区分4) |
鎌倉時代 | 13世紀 | 巨大な本堂、多数の堂宇(区分4) |
室町時代 | 14世紀 15世紀 16世紀 |
大山寺の最盛期と思われる(区分4) |
大山廃寺周辺地形測量図
大山廃寺跡 C区発掘調査概要図
出土品
(上)左から古瀬戸水瓶(こせとすいびょう)・古瀬戸仏花瓶(ぶっけびょう)
(中)左から灰釉陶器碗・古瀬戸平碗・古瀬戸天目茶碗・白瓷(しらし)系陶器
(下)左から須恵器杯蓋(つきぶた)・緑釉陶器・白瓷系陶器小皿
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