帯曲輪地区東部の発掘調査の概要

更新日:2017年08月31日

調査の概要

試掘調査

平成10年3月に小牧中学校が史跡外へ移転し、その跡地を史跡整備するための基礎資料を得ることを目的として、平成10年度から発掘調査を開始した。平成10年度・11年度は、全体の状況を把握するための試掘調査とし、曲輪から土塁まで横断するトレンチを設定して調査を進めることを基本としたが、虎口など整備にとって重要な意味を持つ地点は、面的な調査も実施した。2か年で、トレンチ20本、面的調査4か所を実施し、調査面積は、2,085平方メートルとなった。
中学校建設時の古写真や昭和2年地形測量図と現況との比較検討などから、全体に中学校建設やグラウンド造成時の削平が著しいものと予想されたが、予想通り、全体に削平を受けていた。土塁際を除いて良好な状態で残る部分は少なかった。
帯曲輪は、所々でかなりの削平を受けており、深く掘り込まれた堀や溝は残るが、浅いピットなどの遺構は残りが良くないか、あるいは滅失した可能性が高いこと、また、土塁については、本来の土塁が削平された後、違う位置に新たに土塁状の高まりが作られていた部分があったことが調査によって明らかとなった。
遺構としては、虎口fと虎口gの形状が明らかになったことが注目された。これは当初予想していなかったことで、虎口fでは、幅11メートル、(土塁頂部からの)深さ5.5メートルを測る大規模な堀が虎口の内部に配置されていたことが確認された。虎口gにおいても堀の一部が確認され、虎口fと同様の作りであることが推定された。

縄張図

小牧山城縄張図

また、「昭和2年小牧山地形測量図」に堀の痕跡が読み取れる位置に実際に堀が確認された。当初、この堀は天正期の遺構とみていたが、天正期に土塁が築かれる際に一部が埋められていることから、永禄期の遺構であると考えるに至った。
測量図から堀の位置を復元すると、帯曲輪の南東部に位置し、測量図にも明確に表れている曲輪402とした一辺約75メートルの曲輪から北側では、約45メートルの間隔で堀の痕跡があり、山麓東側から北側にかけては、一辺約45メートルの曲輪群が配置されていたことが想定された。この曲輪については、清須や小牧の城下町で確認されている信長期の武家屋敷の規模とほぼ一致することから、武家屋敷の区画である可能性を考えた。

発掘調査

小牧中学校航空写真

整備工事を3工区に区分して3年計画で実施することとしたため、発掘調査も3年計画で工事の前年度に実施することとした。
調査区は、削平をあまり受けていない土塁際及び「昭和2年小牧山地形測量図」から堀の存在が予想される部分を中心に設定し、試掘調査で堀を確認した部分は、その続きを追った。平成12年度から15年度まで、合計調査面積は4,085平方メートルであった。
調査により、永禄期については、測量図や試掘調査結果から想定した武家屋敷の存在を実証する結果を得た。測量図に記された位置から堀が確認されなかった部分もあったが、屋敷内に配置されていたと考えられる溝や井戸が確認され、鍋、釜、擂鉢などの遺物が出土した。また、曲輪402の北側に位置する曲輪403a、403bでは、測量図に記録された堀と直交する堀が確認され、幅20メートル程の曲輪であることがわかり、一般の武家屋敷というよりは、曲輪402の付属施設にあたる部分ではないかと考えられた。
天正期では、山麓を取り巻く土塁のうち内側の土塁は、全体にほぼ統一された規模(幅10メートル、堀底と土塁頂部の比高差5.5メートルから6メートル、法面角度40度から50度)で築かれていたことがわかった。また、土塁の積土は、部分的に土塁の内側からも取っていたことが判明した。

史跡小牧山帯曲輪地区東部発掘調査位置図

史跡小牧山帯曲輪地区東部発掘調査位置図

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