史跡小牧山の沿革 信長の築城以前

更新日:2017年08月31日

史跡の沿革

信長の築城以前

織田信長が築城する前の小牧山の姿は判然としないが、小牧山からは後期旧石器、灰釉陶器壷の蔵骨器、古瀬戸四耳壷蔵骨器の出土が知られていた。
また、小牧山西北にある間々龍音寺(間々乳観音)の縁起によると、小牧山山中にあった堂宇が現在地に移転したとされている。

昭和63年から平成元年にかけて実施した小牧山西北の曲輪305(屋敷跡伝承地)の発掘調査では、城跡の下層から中世寺院の掘立柱跡を確認したほか、大量の中世陶器 が出土し、西側谷地区は、中世寺院跡を一部改修して城域に取り込んだものと考えられる。
また、平成10年から開始した旧小牧中学校の発掘調査でも、明瞭な遺構は確認できないが、わずかながら灰釉陶器や中世陶器の破片 が出土しており、城以前にも何らかの形で小牧山は利用されていたことが知れる。
しかし、その量は多くなく、蔵骨器の出土などから、西側谷地区に鎌倉時代から室町時代にかけて寺院が存在したほかは、平安時代から室町時代にかけては、小規模な宗教関係の遺跡が部分的に存在していたものと推定しておきたい。

一方、小牧山の周辺を見てみると、故津田応助氏が縄文時代、古墳時代の遺物を表面採集していることが知られているが、その量は多くない。
平成元年に行った遺跡詳細分布調査においても、縄文から古墳時代の遺物はほとんど採集できていない。

この分布調査の結果、小牧山周辺の中世村落の分布は、小牧山の西側に間々、村中、西之島など信長の小牧山城時代には城下に属したという村落や舟津(巾下側の両岸に分かれる)、三ツ渕の村落が成立しており、小牧山の南には小木、藤島、小針、下小針、市之久田の中世村落が形成されていたものと推定される。
一方、小牧山の北側は江戸時代の新田開発まで村落は成立していないと推定される。
また、後に信長が形成した小牧城下町部分では、中世の遺物がほとんど採集できておらず、信長以前には原野であった可能性が高い。

小牧山付近の地質図

小牧山は、洪積台地上の小牧面と鳥居松面との境界に位置し、すぐ西は沖積平野と洪積台地の境界で南北方向に走る段丘崖が形成されている。

小牧山周辺中世遺跡分布概念図

小牧山周辺中世遺跡分布概念図

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