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友好都市:八雲町(北海道)との交流

更新日:2023年11月27日

小牧市と八雲町(友好都市)との交流

八雲町(北海道二海郡)概要(八雲町ホームページより)

八雲町地図

位置

渡島半島の中央を占め、太平洋と日本海の二つの海に面しています。北は長万部町、今金町、せたな町。南は森町、厚沢部町、乙部町に接しています。

地勢・人口

面積は955.98平方キロメートルで渡島支庁管内最大の面積をもちます。渡島山系をはさんで、東は遊楽部川、落部川、野田追川が流れ、西は相沼内川、見市川が流れており、農業・漁業ともに恵まれた立地となっています。現在、人口は約1.5万人です。

気候

太平洋側と日本海側で異なり、太平洋側が年平均気温8.2度、暖流の影響を受ける日本海側が年平均気温9.5度となっています。また、降水量は、日本海側が冬に多く、夏に少なくなるのに対して、太平洋側では夏に多く、冬に少なくなる傾向が見られます。

沿革

平成17年10月1日、渡島管内八雲町と檜山管内熊石町が支庁を越えて新設合併を行い、新たに「八雲町」が誕生しました。この合併により日本で唯一太平洋と日本海を持つまちとなったことから、「二海郡」という新たな群名が付けられました。

八雲の地名は、明治14年に旧尾張藩主徳川慶勝が、豊かで平和な理想郷建設を願って、古事記所載の「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」との和歌から命名したものです。

小牧市と八雲町の交流経緯

先代の縁

明治10年、尾張徳川家第17代藩主慶勝は、蝦夷地開拓するため、吉田知行らを北海道に派遣して、開拓の適地を調べさせました。吉田らの調査により有望地と確認された北海道遊楽部原野について、翌明治11年、慶勝は北海道開拓使より払下げを受け、旧尾張藩から八雲への人々の移住を推進しました。その後、愛知県全域から続々と入植し、大正7年には愛知県出身者の家が600戸、うち小牧市からも70戸を数えたといわれています。

小牧山と徳川家

天正12年(1584年)の小牧・長久手の合戦以降、小牧山は長年尾張徳川家の所有となっていたところ、昭和2年には「史跡」に指定され、今日と同じように一般に公開されるようになりました。

そして、昭和5年には、尾張徳川家第19代当主徳川義親氏により、小牧山は当時の小牧町へ寄贈されました。

交流のはじまり

昭和57年8月、小牧山公開55周年記念事業を開催した折、臨席いただいていた第20代当主徳川義知氏が、八雲と旧尾張藩との縁を披露され、「交流できないものか」提言されたのをきっかけに、同年9月には小牧市助役等が八雲町を訪問しました。

その後、昭和58年1月には八雲町児童15人が小牧を訪れ、現在も続く児童交流が始まりました。

八雲のポニーの写真

八雲町からのポニー

ひろがる市民交流

平成元年に小牧市において小牧市・八雲町交流市民の会が設立されました。以来、毎年小牧市から八雲町を訪問し、町民と交流を深める交流会の実施や、会員への八雲町産特産物の配布を通じ、交流の発展を支えています。

定期総会の写真

定期総会

定期総会

交流会

また、平成30年7月27日には、小牧市・八雲町交流市民の会が設立されて30周年を記念し、「小牧市・八雲町交流30周年記念式典」が開式され、尾張徳川家第22代当主徳川義崇氏ご臨席のもと、多数の来賓のみなさまおよび八雲町長をはじめとする八雲町民の方が出席しました。両市町長から祝辞が述べられ、小牧市からは浅井啓介氏作の漆工芸品を、八雲町からは木彫り熊2体を記念品として交換し、より一層交流の絆を深めることができました。

30八雲町交流記念式典

記念式典の様子

 

木彫り熊

記念品の木彫り熊

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地域活性化営業部 シティプロモーション課 都市交流係
小牧市役所 本庁舎3階
電話番号:0568-39-6528 ファクス番号:0568-75-8283

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