新町遺跡の発掘調査

更新日:2017年08月31日

城下町の発掘調査

新町遺跡の発掘調査

新町遺跡は、平成元年度に小牧市教育委員会が実施した市内遺跡詳細分布調査によって新発見された遺物散布地で、織田信長が築いた城下町の東部に位置する。史跡小牧山地内の小牧中学校を、史跡外に移転するにあたり、小牧山の南の新町遺跡地内に新中学校を建設することになった。このため、平成6年 に試掘調査を実施し、用地北部の水田部分が削平を受けている以外は、良好な状態で城下町の遺構が残っていることを確認した。遺構を保存するため、用地は全体に盛り土して、運動場の地下に遺構を保存することとし、建物や道路部分など遺構を破壊する恐れのある部分だけを発掘調査することとした。

平成7年5月から第1次調査として用地南端の幅員6メートルの道路予定地を調査した。第2次調査は平成7年12月から用地北部の校舎建設位置を対象に実施した。さらに、平成8年7月からは運動場のバックネットの建設位置で第3次調査を実施した。

これらの調査の結果、新町遺跡は、小牧城下町の一部で、永禄6年の小牧山城築城に伴って堀で囲まれた武家屋敷や下級武士の居住域とみられる短冊形の地割が計画的に作られ、短期間の利用の後、廃絶されたことが明らかになった。この地割は、明治17年の地積図とよく一致していて、明治の地積図に織田信長の小牧城下町の地割が反映していることが確認された。

第1次調査は、東西方向に幅6メートルの発掘区を設定して調査した。家の境の溝などは部分的にみられるのみであったが、井戸や柱穴、土こうなどを発見するとともに、多数の瀬戸美濃産陶器や土師器が出土した。間口が狭く 、奥行きの深い地割が存在したようで、遺構の濃淡はあるものの、ほぼ等間隔で 同じような規模・形状の土こうが検出されている。

第2次調査では、面的な調査を実施し、武家屋敷跡を少なくとも3か所発見した。このうち全形が推定可能な屋敷は、長方形で、東西45メートル、南北35メートルで、幅2メートルの堀で囲まれ、その内側には幅3メートルの土塁をめぐらしていたものと推定された。屋敷跡の内部には掘立柱建物が 少なくとも2棟建てられており、井戸なども発見された。第1次調査地区に比べて、面積的に広いが遺物の量は少ない。第1次調査地点は、人々が集住した生活の場であったのに対して、第2次調査地点は、武家屋敷で、人口密度が低く、非日常的な空間も多くあったためとみられる。

新町遺跡発掘調査空中写真

新町遺跡発掘調査空中写真

新町遺跡出土瀬戸美濃産陶器の写真

新町遺跡出土瀬戸美濃産陶器

新町遺跡出土土師器の写真

新町遺跡出土土師器

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