屋根神様
更新日:2017年08月31日
秋葉祭の山車が本祭時に曳き回される際に、各町内で山車を止めてからくりを奉納する場所に屋根神様(軒神様・明治期には天王様ともいわれた)がある。
この屋根神様には、防火鎮守の守護神である秋葉社「あきやさま」(秋葉様)が祀られており、火災から町を守るために始められたと推定される秋葉祭の意義がうかがえる。
当時の家屋はほとんど萱葺きばかりで至って可燃性を帯び、かつ消防器具が不十分であったため、自然に燃えるに任せるより他はなかった。
安政4年(1857年)の炎焼時間は、夜の1時ころより翌朝まで及んだほどである。消失家屋の戸数は住家だけであるので、これに付属建物の数を加えればおそらく倍以上に達すると思われる。
江戸時代頃の大火は4回あり、これによって焦土と化した区域は、当時の小牧宿のほぼ7割に当たる。
この屋根神様は、横町(戒蔵院が屋根神の代わりという言い伝えがある。)を除く3町に、それぞれ上・中・下の3組に1体ずつ有り、現在、昔のまま瓦屋根に完全な形態で残っているのは、中町中組(萬長本店)と下之町中組(岸田家)の2体ぐらいであるが、改造・移築があるもののほとんどが現存している。
屋根神様の世話は各組ごとに輪番制で行われており、祭の日には、祭提灯をかかげ、御神酒と塩と洗米、それに海の幸山の幸をお供えする。
夕方にはかがり火をたき、お供え物を下げる。ほとんどのところが、少なくとも正月・神明祭・秋葉祭・天王祭の年4回の世話は欠かさないが、「おかちん様」と言って毎月1日・15日にお供え物を上げているところもある。中に祀る祭神も、可睡斎・戸隠神社等いろいろであり、中には、熱田神宮・津島神社などを合祀している所も見られる。

下之町の屋根神様

上之町の屋根神様
小牧宿の大火
- 文化3年(1806年)12月28日
上之町朝日辻から横町の中央地点まで百戸延焼。
火元豆腐屋文七の餅つきの火。 - 安政3年(1856年)3月21日
東馬場から中町の辻まで36戸延焼。
火元鍛冶屋。 - 安政4年(1857年)7月中旬
丸屋辻から各丸辻まで西側14戸東側6戸延焼。
火元油屋甚兵衛、玉屋嘉七の中間。 - 明治5年(1872年)1月4日
東馬場東側大半17戸延焼。
火元質商穂積平八の葬儀後の火。
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