信長公居城連携協議会(信長の夢街道連合)とは

更新日:2017年08月31日

信長公居城連携協議会の設立について

はじめに

群雄割拠の戦国時代、不世出の英雄「織田信長公」は,常識にとらわれない発想と類まれなる行動力で駆け抜け、楽市楽座など活気あふれる城下町を築いたその手法は、現代においても十分通用するものです。 信長公が天下への足がかりとして城を構えた地である、岐阜市、近江八幡市、小牧市、清須市は都市の形成や産業、文化などに今でもその思想が息づいています。

そこで、信長公の偉業を受け継ぐ四市が連携し、それぞれの都市が持つ信長公ゆかりの資源をひとつにつなげ、信長公の天下取りへの道のりを連続した物語とすることで、広域観光による現代の天下布武を成し遂げるべく、信長公居城連携協議会を設立いたしました。

設立評定

平成22年8月2日、岐阜公園内華松軒において設立評定を開催し、四市長が設立主意書に署名しました。

写真は左から加藤静治 清須市長、細江茂光 岐阜市長、中野直輝 小牧市長、冨士谷英正 近江八幡市長です。

設立評定の様子

設立評定

四市の紹介(清須市)

清洲城の写真

清洲城

 応永12年(1405年)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清洲城の始まりといわれ、その後、弘治元年(1555)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城しました。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いに勝利した信長公は、清須から天下統一への第一歩を踏み出し、永禄6年(1563年)、美濃攻略のため、小牧山城を築城して、清洲城から居城を移しました。

四市の紹介(小牧市)

小牧山城の写真

小牧山城

 永禄6年(1563年)、織田信長公が小牧山城を築きました。それ以前に小牧山に築城された記録はなく、4年後の永禄10年(1567年)に美濃の斎藤龍興を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、小牧山城は廃城となりました。小牧は信長公の考える都市政策が実現した初めての城下町で、小牧山南麓に城下町を計画的に整備、城下町西部は商工業者、城下町東部には武家屋敷を配しており、城下町の初期の形態がうかがえます。

四市の紹介(岐阜市)

岐阜城の写真

岐阜城

金華山(稲葉山)に始めて城を築いたのは鎌倉幕府の執事、二階堂行政が初めとされ、戦国時代には斎藤道三公の居城となりました。永禄10年(1567年)織田信長公は道三公の孫である斎藤龍興を攻め落とし、当時、「井の口」といわれていたこの地を「岐阜」、「稲葉山城」を「岐阜城」と改めました。その後天正4年(1576年)に安土城へ移る約9年間岐阜城を居城として、楽市楽座を保護するなど、城下町の発展に尽力しました。

四市の紹介(近江八幡市)

安土城天主の写真

安土城天主(信長の館)内藤昌復元

 天正4年(1576年)岐阜城より京に近く、琵琶湖の水運を利用できる安土山に築城。天正7年(1579年)天主などが完成し、天正10年(1582年)本能寺の変で討たれるまで信長公の居城となりました。自身の権力を誇示するため、当時の技術と芸術の粋を集めて造られたといわれており、城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったとされています。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがありました。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。

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