五本棒オマント奉納神事

更新日:2017年08月31日

市指定無形民俗文化財(平成16年2月26日指定)

五本棒オマント奉納神事は、尾張藩初代藩主徳川義直公が小牧村に下賜した五本棒を馬の塔鞍に飾り、義直公自らが描いたという猿の絵を旗に仕立て、熱田神宮まで行進して奉納したのが起源といわれる。その後、この祭では乱暴狼藉が多く、熱田神宮までの行進を禁止され、小牧宿内での祭になったといわれる。この熱田神宮までの行進の様子は、岸田家(岸田宗喜氏)に保管されている小牧祭掛軸に描かれている。

神明社の秋の大祭は、江戸時代から小牧宿の祭の一つとして、春の神明祭、夏の秋葉祭と並び、秋の馬祭として親しまれてきた。かつては、東町の五本棒オマントを中心に、各地区が馬の塔(オマント)を出し、奉納した。この祭は、戦後まで盛大に行われてきたが、農耕馬の減少とともにオマントの奉納は衰退し、最近では、東町の五本棒オマントだけとなった。

現在の五本棒オマントは、午前中に東町の馬宿で五本棒オマントの準備を終えると、まず町内の秋葉神社へ奉納し、その後、東町町内を一巡し、馬宿へ戻る。午後、神明社へ行進し奉納し、秋の大祭の神事終了後に東町の馬宿へ戻っている。

神明社の秋の大祭は、旧大字小牧全体の祭礼で、かつて各村から多数のオマントが奉納されていたときから、東町の五本棒オマントは、ハナ(端)馬と呼ばれる特別な存在で、他のオマントが追い抜いたり、先に神明社境内に入ってはならないとされてきた。現在の祭礼においても、五本棒オマントが境内に入ってから、他の神輿や獅子が境内に入るきまりとなっている。

現在、徳川義直公から下賜された五本棒と猿の絵の実物は、小牧村の庄屋を代々勤めた江崎家(江崎通彦氏、岐阜市在住)が保管している。このように、奉納神事に使用している五本棒は実物ではないものの、馬飾の箱書きには嘉永2年(1849年)、馬道具の裏面に文政9年(1826年)、文久3年(1863年)の墨書があり、現在の馬道具の一部は江戸時代から継続して使用されてきたことが知れる。

五本棒オマント奉納神事は、江戸時代初期からの伝統をもち、江戸時代初期から尾張藩と小牧村が特別な関係を有した歴史を示す存在でもあり、かつてこの地方で普遍的に見られたオマント奉納神事の唯一の保存例として、永くこの奉納神事を保存継承していきたい。

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五本棒オマント奉納神事

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