野口・大山の古墳群(のぐち・おおやまのこふんぐん)

更新日:2017年08月31日

野口・大山の古墳群の位置

(イラスト)野口・大山の古墳群位置図

野口・大山の古墳群位置図

野口・大山地区の北にそびえる標高200メートルほどの山地には、点々と横穴式石室をもつ古墳が発見されています。
いずれも下を流れる大山川沿いの土地を見渡せる高所に築かれています。
この地域を治めていた小豪族の墳墓と見られます。

概要

(イラスト)北新池古墳推定模式図

北新池古墳推定模式図

小木古墳群などの古墳時代前期の古墳は、竪穴式の石室を持ち、巨大な墳丘に一人の豪族を葬ったのに対して、古墳時代後期の横穴式石室をもつ古墳は、概して小規模で、入口が開閉できるので、何回もの追葬が可能です。
骨が発見された横穴式石室では何人分もの骨が見つかることがあります。
古墳のもつ性格が、権威を示すものから、豪族の家族墓に変質していったと考えられます。
横穴式石室の構造を、野口の北新池古墳を例に見てみましょう。
北新池古墳は、直径約15メートル、高さ3メートルほどの円墳で、石室の規模は、長さ3.9メートル、幅1.8メートルで、高さは 1.3メートルほどです。

石室

(イラスト)横穴式石室平面の比較図

横穴式石室平面の比較図

古墳は、まず、地面に長方形の浅い穴を掘り、そこに石室を築きます。
石室は、遺骸を葬る玄室(げんしつ)と玄室へ至る通路である羨道(せんどう)に分れます。
石室が完成すると、墳丘を盛ります。通常、古墳のまわりを掘って土を盛り上げますので、掘った部分は周溝となります。
ついで、遺骸を収め、副葬品の須恵器や装身具などを収めると、入口を閉塞石と呼ぶ小さな石を詰めてふさぎます。
野口・大山地区の古墳群の多くは、墳丘が流失して横穴式石室が露出しています。
ふれあいの森内にある北新池古墳(野口)は、墳丘が残る珍しい例です。

出土品

大山廃寺に登る林道脇の高台にある大山1号墳(大山)と市民四季の道終点の峠付近にある大山3号墳(野口)は、昭和50年頃、小牧市史編さんの調査で実測図が作成されています。
現在も石室がそのままの姿で露出しています。

このような古くから露出していた古墳ではすでに副葬品が持ち去られていることが多く、大山1・3号墳ともに副葬品は残っていませんでした。

須恵器などの副葬品がないため、正確な時代判定はできませんので、石室の規模や形状から推定すると、6世紀後半から7世紀にかけて築かれたものと考えられます。

7世紀末には、大山廃寺が創建され、この地方で古墳を築いてきた有力豪族層に仏教が普及したことなどにより、古墳は築かれなくなったと考えられます。

また、篠岡小学校に所蔵されていた完全な形を残す須恵器の提瓶・短頸壷(現在は小牧市歴史館で展示中)は、これら野口・大山の古墳群からの出土品といわれています。
この須恵器の年代は、7世紀前半で、古墳の年代に一致します。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局 生涯学習課 文化財係
小牧市役所 本庁舎3階
電話番号:0568-76-1189 ファクス番号:0568-75-8283

お問い合わせはこちらから